カテゴリ:阿波藍商



Blog-2025 · 2025/09/13
徳島県東部の紀伊水道に面した小松島は、平安時代には中の湊として陸海交通の要衝となった港町です。小松島の地名は鎌倉時代から文献に見られ、‥‥‥
Blog–2019 · 2019/09/21
徳島藩の藍製造法を探るため他国からの隠密や、四国八十八箇所の‥‥

Blog–2019 · 2019/09/07
筑後平野を蛇行して流れる筑後川の流域は、古くから文化が発達し‥‥
Blog–2019 · 2019/08/24
桓武天皇のとき奈良の平城京から長岡京、延暦13年(794)に平安京へ‥‥

Blog–2019 · 2019/08/10
安芸•備後•備中•備前は瀬戸内海に面し海運の利便性と、温暖な気候と‥‥
Blog–2019 · 2019/07/27
正保2年(1645)発刊の『毛吹草』は京都の俳諧師、松江重瀬によって‥‥

Blog–2019 · 2019/06/29
阿波藍の栽培にとって干鰯•鯡粕などの魚肥を移入することが、長い‥‥
Blog–2019 · 2019/04/13
藩政時代に盛んに栽培された阿波藍の起源については、未だにはっきり‥‥

Blog–2019 · 2019/03/16
奥村家が藍屋嘉蔵として藍商活動を始めたのは17世紀中期ごろですが、‥‥
Blog–2019 · 2019/03/02
「藍粉成し」とは文字通り刈り取った葉藍を刻み、粉状になるように‥‥

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