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少年兵の手記 no-016 教育隊の日々 腹巻き

伊藤洋一郎と出逢って間もなく話したことは、十七才のとき中国大陸で終戦を迎え、南京での捕虜収容所のことだった。わたしは父との確執から異常なほど戦前、戦中、戦後のことに関心をよせて本を読んだり、映画を見たり、人に話を訊いていた。そのとき訊いた話は思いがけないことが多かった。親しくなってからの印象は、戦前の教育を受け戦場を体験した人とは思えない姿だ。ひとつだけ日常で感じられたのは、毎晩机の上を整理し、着たものをきちんと畳み就寝することだった。七十才を過ぎたころから、日記を書き出し、それからこの手記を書きはじめた。どれほど、重く、心のなかで発酵していたのだろうか。

 

no-016

少年兵の手記   無意識の熱情から軍隊生活の不条理な価値観のもと 1944-46

(つづき)

 

    教育隊の日々  腹巻き

 入浴は週二回だが不定期だった。指定の日時に全員揃ってゆく。広い脱衣所と。やはり広い洗い場の奥に壁に沿った大きい浴槽がある。風呂場全体は一部タイルとセメント仕上げが不規則にまじりあっていた。黄色の弱い灯りのなかで、壁も床も人も褐色の影絵のようにみえる。二つの班が同時に使うので、一度に六十人ほどが洗い場と浴槽の中で混み合っていた。藷を洗うという形容がこれほどピッタリの光景は、まず他に思い付かない。湯の中に頭から潜っている奴がいる。浴槽の中で仲間の背を流す者。なぜか仁王立ちになって天井を睨んでいるのがいた。裸になることで日頃の拘束から解き放された若い男の群れは、まるで、野生の動物のようだ。だが、この浴場も軍隊なのだ。風呂場の混雑とは別に、脱衣場が闘争の場になる。

 兵舎内の何処にいても、官給品の損傷と紛失に対する警戒心は強い。身にうける懲罰を考えれば当然のことだが、入浴日はその危機感が頂点に到達する。風呂場での盗難は物干場以上に多いのだ。所持品に所属と姓名を書き入れるのは軍隊生活のイロハだが、こまめな男は糸で名をかがっていたりする。上衣、シャツ、下着などはサイズの問題もあってか、以外に被害は少ない。よく狙われるのが靴下、褌といった消耗品、ついで腹巻きの順らしい。手早く身につけてしまえば確かめようもない。靴下とか褌は自分で補充できるが、やはり口惜しい。始末の悪いのが腹巻きで、厚手の布を何枚か重ね幅二十センチ、長さ六十センチほどに縫い合せた両端に平ひもが付いている。ただそれだけのモノなのだが、これがれっきとした官給品で、所持品検査には欠かせない。年寄りじゃあるまいしと、はじめ馬鹿にしていたが、激しい訓練が続き腹を締めている効果に気が付いて、愛用していた。大事なものを盗られてその挙句殴られるのは割に合わない。脱衣所に棚はあるが仕切りもなく、もちろん戸などあるわけはない。洗い場からはガラス戸が曇って見えるわけもない。先に洗い場を出る兵士がみな怪しくみえる。

 

 三ヶ月の間に二度被害に逢った。所持品検査までになんとか間に合わせたが、二度とも腹巻きだった。                (つづく)