伊藤洋一郎と出逢って間もなく話したことは、十七才のとき中国大陸で終戦を迎え、南京での捕虜収容所のことだった。わたしは父との確執から異常なほど戦前、戦中、戦後のことに関心をよせて本を読んだり、映画を見たり、人に話を訊いていた。そのとき訊いた話は思いがけないことが多かった。親しくなってからの印象は、戦前の教育を受け戦場を体験した人とは思えない姿だ。ひとつだけ日常で感じられたのは、毎晩机の上を整理し、着たものをきちんと畳み就寝することだった。七十才を過ぎたころから、日記を書き出し、それからこの手記を書きはじめた。どれほど、重く、心のなかで発酵していたのだろうか。
no-015
少年兵の手記 無意識の熱情から軍隊生活の不条理な価値観のもと 1944-46
(つづき)
教育隊の日々 西洋剃刀
教育隊暮しもすでに半ばを過ぎ、珍らしく内務班で夕食を共にした班長が「誰か、オレの髭を剃ってくれる者はいないか」と問いかけた。いかにも硬そうな髭の濃い班長の顔をみつめて、誰も答える者はなかった。「うちには床屋の息子は居なかったか」と残念そうだ。「ハイ剃れます」と声を上げたのはどんな積りだったのか自分でもわからない。班長が理想的な兵士にみえて、魅力にひかれてはいた。班長の役に立てるならと衝動的に平静を失ったのか、或いは持ち前の軽はずみな性格のせいなのか。みんな驚いてこちらを振返る。候補生のなかには十九才もいる。もううっすらと髭の気配を見せている者もいたが、こちらはまだ十五才と最年少でうぶ毛も生えていないのだ。だが髭剃りには馴染みがあった。父親も髭の濃いタチで、毎朝時間をかけて洗面台で髭を剃る姿と、洗面台の棚に置いた剃刀は、日常の光景として見馴れていた。だからいつの間にか、髭剃りについてよく知っていると思いこんでいたのだ。静まりかえった周りの気配を気にも止めず「助かるよ、早速明日から頼もうか。あとでオレの部屋に来てくれ」アッサリ云って班長は腰を上げた。日頃口喧しい教育兵たちも、予想外の成行きに声もない。
ご機嫌取り奴と、咎めるような仲間の目を意識しながら、内務班を飛び出して班長のあとを追った。事の成行きに驚いたのは誰よりもぼく自身なのだ。すでに半分後悔していた。髭の濃い班長は毎日剃らないではすまされない。簡便カミソリで自分で剃ってはいるのだが、三日に一度はちゃんと剃っておきたいのだと、普段みせない照れた笑顔を見て、決心した。それにしても候補生には避けられない雑用が山野ようにある。一分だって休む閑はない。周りの抵抗もある。相談の末、三日毎に夕食後と決めた。食事当番の日は当番を優先する。午後の訓練が長びいた日は中止と、細かく打合せて内務班に戻った。班長がびっくりするほど協力的だ、大人の仲間入りをしたようないい気分だったが、仲間はみなよそよそしい。
約束の㐧一日目、班長室に入ってみると室内はすっかり床屋に変わっていた。同室の隣り班の班長の姿はみえず、部屋の中央の電灯の下に、白いシーツをかけた大きな椅子がある。椅子に近づけた机の上に、タオルと洗面器、陶器のカップとブラシをのせた盆があった。床屋で見馴れたものばかりで安心した。だが、班長が机の引出しから取出し、手渡された代物をみて仰天した。勝手に頭に描いていたのは、父親の使っていた柄に麻糸を巻きつけた日本剃刀なのだ。はじめて目にした大きな西洋剃刀の、薄い刃の冷たい輝やきと形のまがまがしさにショックうけた。刃物を恐いと感じたはじめての経験だった。束の間頭の中が空白になって、足から力が抜けた。椅子に腰かけた班長は、目を閉じ、足を伸ばしてゆったりと顔を上向けて待っている。椅子に近づいて、いつか床屋でみた憶えのある剃刀の持ち方を思い出しながら、深呼吸をひとつして覚悟をきめ、シャボンの泡を顔に塗りはじめた。どうやったのかまるで憶えはない。喉を切り裂きもせず、顔に傷もつけず、とにかくやってのけた。
同じ班長室で隣の班長に全員が殴られるという事件のあと、床屋は店仕舞いした。恐怖の髭剃りは終ったが班長はいかにも残念そうだった。プロの兵士はまったく度胸がいい。大きな剃刀を手に、喉のあたりを逆剃りするときの、あの戦慄はしばらく体から抜けなかった。
(つづく)