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少年兵の手記 no-006

伊藤洋一郎と出逢って間もなく話したことは、十七才のとき中国大陸で終戦を迎え、南京での捕虜収容所のことだった。わたしは父との確執から異常なほど戦前、戦中、戦後のことに関心をよせて本を読んだり、映画を見たり、人に話を訊いていた。そのとき訊いた話は思いがけないことが多かった。親しくなってからの印象は、戦前の教育を受け戦場を体験した人とは思えない姿だ。ひとつだけ日常で感じられたのは、毎晩机の上を整理し、着たものをきちんと畳み就寝することだった。七十才を過ぎたころから、日記を書き出し、それからこの手記を書きはじめた。どれほど、重く、心のなかで発酵していたのだろうか。

 

no-006

少年兵の手記 無意識の熱情から軍隊生活の不条理な価値観のもと 1944-46

(つづき)

 七時、点呼のため整列、自分の寝床を背に机をはさんで向き合う。寝床の台と机の間の一メートル余りの空間が、食事と整列のための定位置で唯一の通路でもある。点呼は軍隊生活のなかでの重要な行事でもあると、特に班長から申し渡されていた。廊下に固い靴音が響き、小型の黒板を首から吊るし名簿を手にした下士官を従えて、当直将校がやってきた。「気を付けッ」ついで「番号」と班長の号令で、候補生はあらかじめ指示されていた順番に従って、一、二、三、と次々声をはりあげてつないでゆく。人数を確認したあと「㐧二班、班長以下教育兵三名、候補生三十名、計三十四名異常ありません」と班長が報告し、当直将校が通達事項を伝えて点呼は終る。所要時間は短く、決った毎日の行事だが、張りつめた緊張感には独特の雰囲気がある。中学時代の軍事訓練で経験はあったものの、この厳しい緊張感は想像を超えていた。人数確認のために次々と数をつないでゆくのは、一見簡単そうだが意外に厄介だ。軍隊では完璧を要求される。それも請求に。入隊㐧一日目だろうが問題ではない。結果はひどいもので何度もやり直しさせられた。入隊初日の長い一日の疲れもあったし、夕食後の安堵感も加わった気のゆるみも否定できないが、何よりも、まだ軍隊の恐しさを誰も知らなかったことだ。渋い顔のまま当直将校が立ち去るや否やその足音がまだ消えないうちに、教育兵たちの痛烈な平手打ちが全員を見舞った。かつて経験したことのない激しい痛みだったが、痛み以上に吾々を震え上らせたのは、その容赦ない殴り方から感じとれた。彼らの非情さだった。痛みとショックに全員立竦んでいた。班長は制裁が終わるのを見届けて黙って部屋を出ていった。

 軍隊生活の㐧一夜、消灯後の固い藁マットに体が馴じめず、何度も寝返りをうつ。はじめて聴く遠くの消灯ラッパの余韻に感傷を誘われ、疲労感と恐怖と、痛みと感傷がごっちゃになって全身を駆けめぐる。それでも、やがて泥のように眠った。

 

 六時起床、朝の点呼に当直将校の巡回はない。候補生が点呼をとって班長に報告する。朝の仲間の顔はまだ強張りを残し、一夜で顔付きが変わっていた。終日、内務班の慣習と役割りについて教わる。衛兵当番、食事当番、掃除、洗濯、靴磨きと続くが、何より気を使うのは銃の手入れをはじめとした装備の管理で、訓練時間の合間にすべての雑務をこなす。殊に銃の手入れは、もし時間が足りなければ食事を抜いてでも欠かせないと厳命される。予想外に時間をとられそうなのが衣類の整理と、身の回りの整理、整頓で、所持品のすべてに定位置があり整理の状態にも決まりがあって、例外と目こぼしはない。それらすべては午前・午後の訓練の間に処理する雑務に過ぎない。決して誇張ではなく腰を下ろして休息するゆとりは一分もなかった。

                            (つづく)