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少年兵の手記 no-002

伊藤洋一郎と出逢って間もなく話したことは、十七才のとき中国大陸で終戦を迎え、南京での捕虜収容所のことだった。わたしは父との確執から異常なほど戦前、戦中、戦後のことに関心をよせて本を読んだり、映画を見たり、人に話を訊いていた。そのとき訊いた話は思いがけないことが多かった。親しくなってからの印象は、戦前の教育を受け戦場を体験した人とは思えない姿だ。ひとつだけ日常で感じられたのは、毎晩机の上を整理し、着たものをきちんと畳み就寝することだった。七十才を過ぎたころから、日記を書き出し、それからこの手記を書きはじめた。どれほど、重く、心のなかで発酵していたのだろうか。

no-002

少年兵の手記 無意識の熱情から軍隊生活の不条理な価値観のもと 1944-46

 

(つづき)

 少年兵として軍隊生活の現実と向き合い、巨大な組織のもつ暗い側面と、不条理な価値観に戸惑い、さらに非常で過激な暴力のまえに、少年の素朴な愛国心と感傷はわずか一日であっけなく押しつぶされ、憧れははかない幻想に過ぎないことを知る。だが、それでもなお幼いころから心に染みこんだ、お国の為にという使命感とヒロイズムは意外に根強いものだった。勿論十五才の少年に、生死にかかわる覚悟があったわけではないが、過酷な訓練と理不尽な暴力にも堪え、まだ好奇心と感傷のいくらかを残していたのは、少年の無知と無垢がもつ柔軟性とでもいえるのだろうか。

 教育隊の三ヶ月は、頭を空白にしてただ無我夢中のうちに過ぎた。明野飛行学校での訓練は希望に反して、戦闘機のメカニックという予想外の任務に抵抗を感じながら、それでも、一度見失った夢の空白を埋めようと懸命だった。中国戦線での数ヶ月は特攻出撃という目的に向かって、任務の中に埋没することで心の均衡が保たれていた。十六才の少年兵には度の過ぎた重い責任を背負って、それでも誇りに満ちていた。

 爆弾を装着し機首をそろえて出撃命令を待つ特攻機・隼の一群と、寄り添うように佇む少人数の隊員たちは、息を詰めて声もなく、かすかに白んでゆく東の空を見つめていた。生死を賭けた出撃を前にして、若い搭乗員たちは平静を失わなかった。戦争という行為が狂気と矛盾に満ちたものだとしても、あの夜明け前の張り詰めた空気の中に漂っていたのは、狂気でもなければ闘争心でもない。使命感でもなかった。自分自身の誇りに支えられた、飾り気のない充足感だったような気がする。胸を締めつけられるような緊張感に囲まれていた少年兵は、そのとき人間の誇りと勇気の存在を信じた。

 中国戦線では誰も予想できなかった敗戦という突然の衝撃は、武装解除に続いた組織の弱体化や環境の急変とともに、目標を見失った兵士たちの狼狽と混乱をひきおこした。かって日中戦争の初期、中国戦線の拡大と長期化が軍記・風紀の乱れを生み、戦場における兵士たちの掠奪・暴行の風聞はひそかに知れ渡っていた。敗戦後の兵士たちの混乱ぶりもまた、ひとりひとりが人間として自立できな集団のもつ、もろさという一点でつながっていた。

 

 特攻隊解散のあと隊員たちは散りぢりになり、大きな組織に編成された少年兵は、教育隊以来心の底に沈んでいた組織に対する不信と苛立ちを、また強く意識することになる。収容所の中で、エゴ、物欲、保身をむきだしにする兵士たちの素顔に、少年の一途さは嫌悪感を押さえきれなかったが、同時にその苛立ちは、薄れてゆく誇りと、他に支えるものを持たない自分自身にも向けられていた。山の収容所では、憂鬱と空腹を抱えて独りあてどもなくさまよっていた。冬を過ごした南京城内では、鉄条網をくぐり抜け、層々街をうろつくという無謀な行動をとった。無意識のうちに、枷から逃れて兵士から少年に還ろうともがいていたのだろう。反撥するには、軍隊組織の枷はあまりにも重かった。            (つづく)