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大麻・苧麻 Ⅰ

 大 同2年(807)に成立した『古語拾遺』斎部広成に「神武天皇の勅命を受けた天富命(アメノトミノミコト)が、天日鷲命の孫を率いて阿波国に渡来して麻、穀を植えて麻植郡を創設。」と記されています。神話のなかの話のようですが実際に徳島県の麻植郡は、平安期の文献『和名類聚抄』に郷名が記載されています。徳島市の観音寺遺跡から出土した690年頃と推定される木簡に「麻殖評伎珥宍二升」と最古の表記があり、天平4年(732)の租税である「絁(あしぎぬ)」に麻殖郡川嶋の地名、忌部為麻呂の戸主名が記され正倉院に所蔵されています。麻植郡川島にある史跡の川島廃寺跡は、法起寺式の伽藍配置をもつ大日寺と推定され、創建は白鳳期もしくは奈良前期といわれ、麻植郡一帯で天日鷲命を先祖にもつ忌部氏の活動が窺えます。

 

麻植郡(吉野川市)には「麻」を意味する地名や史跡が多く残り、向麻山北麓の川で麻を晒して糸をつくり織物をしたといわれ、麻植塚•麻懸谷•麻筍岩•麻晒池•木綿麻山(ゆうまやま)などの地名ともに、縁のある神社名にも「麻」が散見します。5~6世紀頃には天日鷲命を祖神とする阿波忌部が、美馬郡の東部及び麻植郡の西部地方に居住し、集団で麻や木綿などを植え織物•農工に従事していたことが想像できます。

 

阿波•淡路両国の総産土神として崇め奉る、阿波一宮•大麻比古神社が鳴門市大麻町に祀られています。祭神の大麻比古神は天太玉命(アメノフトダマノミコト)のこととされていますが、昔から祭神が議論の的になっています。背後の大麻山に古くから祀られていた猿田彦大神も合祀されていますが、室町時代成立の『大日本国一宮記』には猿田彦大神が祭神とされ、文化12年(1815)の『阿波国式社略考』でも猿田彦大神で統一していました。現在は安房国下立松原神社に伝わる高山家文書『安房忌部本系帳』から、大麻比古命は天日鷲命の子でまたの名を津咋見命(ツクイミノミコト)であると書かれていたことから、大麻比古神=天太玉命とは明言せず、大麻比古神としています。『安房忌部本系帳』の史実性は不確実とされていますが、因みに津咋見命は『古語拾遺』の中の天照大神の岩戸隠れの場面で、天日鷲命とともに穀の木を植えて白和幣(木綿•ゆう)を作った神です。

 

大麻の「大」は称え辞で、伴部に於ける大伴、海部に於ける大海の如きと同じく、大粟神社の大粟が粟族の大本という意味ですので、麻族の大本を祀った神社が大麻比古神社だとも解釈できます。古代の麻はあさ、ぬさ、ふさ、などの名称があり、麻は神に供える幣帛(ぬさ/へいはく)をつくるのです。神道の祭祀において幣帛とは貴重な神への捧げ物であったはずです。