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少年兵の手記 no-008

伊藤洋一郎と出逢って間もなく話したことは、十七才のとき中国大陸で終戦を迎え、南京での捕虜収容所のことだった。わたしは父との確執から異常なほど戦前、戦中、戦後のことに関心をよせて本を読んだり、映画を見たり、人に話を訊いていた。そのとき訊いた話は思いがけないことが多かった。親しくなってからの印象は、戦前の教育を受け戦場を体験した人とは思えない姿だ。ひとつだけ日常で感じられたのは、毎晩机の上を整理し、着たものをきちんと畳み就寝することだった。七十才を過ぎたころから、日記を書き出し、それからこの手記を書きはじめた。どれほど、重く、心のなかで発酵していたのだろうか。

 

no-008

少年兵の手記  無意識の熱情から軍隊生活の不条理な価値観のもと 1944-46

(つづき)

 皮革用の油が常備されていて、毎日の手入れには指で靴にすりこむ。表皮のはきれいに磨けるが、裏皮は毛ばだっているので油が染みて黒ずんでくる。それでも毎日根気良く手入れしていると、毛ばが落ちて鈍く黒光りし、気に入っていた。教育兵たちの軍歌はいつも手入れが行届いている。手入れは候補生たちがやる。誰と分担が決まっているわけではないが、誰かが自分のと一緒にやっていた。洗濯も同様だ。強制されたわけではないが、ただいつの間にかそうなっていた。教育兵たちも当然のことのように、平然と受取っていた。これも永い伝統なんだろうか。吾々に共通していたのは「天災だ」というあきらめに似たおもいだった。

 衣・食・住のすべてを軍隊は与えてくれる。支給されるものは官給品とよばれ、貴重品として扱い、私物とは厳然と区別される。定期的な検査があって、装備品の傷みは徹底的に追求される。官給品の紛失は重大な罪で罰則は重い。シャツや下着類などの紛失は(これがまた多いのだ)比較的バツが軽くてすむが、装備に関するものを失くした場合に結果など、考えたくもない。別の班での酷い精細の風評は伝わってきたが、幸いなことに三ヶ月の教育隊生活で、吾々はそんな悲劇を目にしなくてすんだ。

 支給品のなかでも銃は別格で、神聖なものが。軍隊ではよく、兵士の命より大切だといわれるが、決して誇張でなく実感として受取れた。さすがに、銃の紛失などありわけもないが、もし現実にそんなことがあればきっと生きてはいられないだろうと、みんな心の底から信じていた。銃はまた危険極まりない凶器であることにも変わりはない。取扱いと管理について厳しい規制がある。特に実弾を扱うときの慎重さは異常なほどだった。実弾射撃訓練には必ず指導を兼ねて担当の下士官が付き添う。標的を前にして射撃直前に五発の実弾が渡される。後にさがった下士官は、渡した弾の数だけ確実に発砲されたのを確認し、さらに飛び散った薬莢を拾い集めて数を確かめる。その軽快ぶりに驚いたが、あとになって理由をきく機会があり納得した。軍隊の永い歴史のなかでは、命を賭けて抗議の声をあげた兵士も少なくなかったようだ。抵抗の姿勢の代表的なものが、便所の中での首吊りと銃による自殺なのだという。内務班での虐待に堪え兼ねた兵士は、絶望の果てに狂乱し銃を手に脱走した例も多いとか。当然弾が必要になるが、手に入れるには射撃訓練の場でくすねる以外に方法はない。発砲回数をごまかして隠し持って帰るのだろう。銃にただ1発きりの実弾をこめて、恨みを抱いた相手を追った兵士もいたのだろうが、たいてい結果は自然におわる。その話をきかされたときは一日気分が重かった。決して誇張された伝説の類とは思えなかったのだ。

 

 銃の手入れは毎日義務づけられている。銃身の金属部分の曇りと銃口内の汚れは許されない。専用のブラシを使って磨くのだが、検査には遊底を開き銃を逆手に持って銃口を覗く。逆光がホコリを際立たせる。懲罰は激しい。支給された三八式歩兵銃は、銃身が長く大振りで重い。やがてその重量に泣かされることになった。                     (つづく)