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木綿ゅぅ Ⅱ

「ゆうだすき 千歳(ちとせ)をかけて あしびきの 山藍の色は かはらざりけり」十一月臨時祭を祝して、天慶3年(940)閏7月に屏風歌が詠進され、紀貫之の歌といわれています。神事に奉仕するとき木綿(ゆう)でつくった襷をかけて行う習わしがあり、天皇を慶祝する意味を籠めて神事の永さと、山藍の色が千歳にわたって変わらない事を詠んだ歌です。

 

文献の中でみられる「木綿」の記されている資料は、年代順に『日本書紀』『古語拾遺』『延喜式』があり、阿波と関係のある箇所を紹介します。何れも忌部の遠祖天日鷲命(アメノヒワシノミコト)が木綿をもって神に奉仕する内容です。

 

最初の勅撰正史として養老4年(720)に成立した『日本書紀』の巻第一の一節、天照大神の岩戸隠れの神話の場面では、神々が隠れた天照大神に再び現れて貰う方策のため、天香山の真坂木、八咫鏡、八坂瓊の勾玉、木綿に願いを懸けます。大同2年(807)に成立した『古語拾遺』では、「神武天皇の勅命を受けた天富命(アメノトミノミコト)が、天日鷲命の孫を率いて阿波国に渡来して麻、穀(かじ)を植えて麻植郡を創設。その後さらに阿波忌部の一部を率いて黒潮に乗り、豊饒の地を求めて東国に渡来し、天富命の祖神太玉命(フトタマノミコト)を祀り安房神社を創立した。」と記されています。阿波忌部は東国を統治するため麻、穀の木の栽培をはじめ、木綿と阿良多倍(あらたえ/麻布)を広めます。延長5年(927)に撰進された『延喜式』は平安初期の宮中の年中儀式や制度の記録です。巻七•神祇七 践祚大嘗祭の文中に阿波国の忌部が、古語拾遺にも記された麁妙服(阿良多倍)や木綿をもって奉仕することが記されています。

 

「木綿とは、楮のことでそれを原料にした布である。」と多くの書物に書かれています。神道においては木綿を、幣帛(へいはく/ぬさ/にぎて)として神に捧げ、紙垂(しで)にして榊につけた木綿垂(ゆうしで)、冠に懸けた木綿鬘(ゆうかずら)、袖にかかげる木綿襷(ゆうだすき)として神事に用います。しかし現在は伊勢神宮の神事においても、木綿とあるのに麻を用いています。儀式での木綿の使用の起こりを考えると、日本書紀に書かれていることだと思うのです。

 

註:『日本書紀•上』岩波書店刊 日本古典文学大系『古語拾遺』岩波文庫 西宮一民校注