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藍でつくられた色ー ⑱鶸色•鶸茶•鶸萌黄

鳥の羽根の色に因んだ冴えた緑黄色を鶸色と呼びます。「鶸鳥•ひわどり」は『枕草子』にも見られ、古くから知られるマヒワのことで、江戸時代に入ってからはベニヒワ•カワラヒワと区別するために真鶸と呼ばれます。色名に使われるようになったのは鎌倉時代で、武士が礼服に用いた狩衣をまとめた『布衣記(ほいき)』では狩衣の色に「ひは」と見られます。鶸色に緑が強くなると「鶸萌黄」さらに緑がかると「萌黄色」になります。そして少しくすんだ色になると「鶸茶」と呼ばれます。鶸色の染法は『染物秘伝』寛政9年(1797)に「下を黄檗に而染め其上を浅黄に染べし」と記されています。室町から江戸時代にかけて流行した染物「辻が花」にも用いられています。

 

鶸萌黄は萌黄色より黄味の強い緑をいいますが、雛形本には見当たらず流行を記した記事も見当たりません。色名は『手鑑模様節用』(1801–29)の色譜に「ひわもえぎ。古名 浅みどり」と記され、江戸中期ごろの『紺屋伊三郎染見本帳』にも散見します。『染物早指南』嘉永6年(1853)に「かや(刈安)こくにつめて 裏表二へんづつ あいけし」と染法も記され、江戸中期には広く用いられた色のようです。

 

鶸茶は緑味のにぶい黄色で、『手鑑模様節用』の色譜には「古名をみなへし、うぐひす茶ともいふ」と記されています。女郎花より少し暗く、鶯茶より黄味がちで明るい色で享保、明和、安永、天明各時期の雛形本の小袖の地色に見え、流行色であったようです。染法は『当世染物鑑』元禄9年(1696)に「へはちや。もんつきは下染みづいろにして、其うへかりやすにて三べん染ほしあげ‥‥」『染物秘伝』寛政9年(1797)「鶸茶。下地浅黄より薄く染、其上刈安一返引、又刈安に明凢入引てよし」と記され広く用いられたようです。「鶸茶」の色名は黄表紙や随筆『反古染』(1789)『守貞漫稿』(1854)などに小袖の色や御殿女中の服の色として見られ、明治になって化学染料が使われるようになっても小説の中で見られます。鶸色、鶸萌黄、鶸茶とも染法・染材に同じものが使われ、微妙な色の違いを識別して天然染料で染色したうえ、それぞれの色名は周知され長い期間愛されていました。

 

 

参考:「日本の伝統色」長崎盛輝 京都書院