· 

藍染と手拭 Ⅱ

治時代の繊維産業の隆盛は、「注染」という染色の技術が新たに普及した時代でもあります。テクノロジーの発達した現在では、150年前のこの技術が伝統的な技術として人々に支持されています。注染は天保年間(1830-1844)に大坂で始まり、模様部分にだけ特殊な糊で防染した生地に染料を注ぎ込んで、部分的な色染めをする型染めの一種でした。主に手拭の染色を行っていましたが、大正期には染色行程が改良され浴衣の注染ができるようになりました。染料を浸透させる方法から、電動コンプレッサーを利用した染料の吸入方式が開発されたのです。これによって、手拭全面(約90cm)にわたる大柄や複雑な図柄の多色染めも、屏風だたみした浴衣地も染められるようになりました。

 

徳島で藍染見学に訪れた古庄染工場で、注染の技術を応用した天然藍の注ぎ染めをしているところを見学させていただきました。屏風だたみした綿紅梅の浴衣地に藍の染液を注ぎ込んで、コンプレッサーで酸化させ染めるのです。当然藍の染液は元のカメに戻るようになっていましたが、作業後の液を管理するのはとても難しいことだと云われていました。この技術を開発した古庄理一郎氏は、昭和47年に天然藍染による注染法を完成させて、徳島県の無形文化財に指定されました。

 

 

明治の技術競争に淘汰された天然染料と染色方法が、今でも支持され新しい挑戦をする人達によって維持されています。インターネットの手拭販売のなかに化学染料だけでなく、天然藍と書かれている商品も多く見られます。手間と時間のかかる染料ですので、当然価格競争では手頃な手拭には太刀打ちできません。江戸時代初頭に藍染の手拭が藍の普及を促したように、改めて天然藍と付き合うのにはよい品目かもしれません。使用したら洗うことも自然とできますので、藍の特性のようにいわれている色移りのことも思い違いだと解ります。写真や映像では識別し難いですので、作っている方との交流を深め、どのような藍製品なのか訊ねてみることをお勧めします。藍を理解するには少しの忍耐(化学的知識)が必要ですので厄介な面もありますが、色素の原料は土壌から育まれる藍草から作られたモノなので、染料になる過程が異なるだけですから間違うことはないと思います。明治期に隆盛を誇ったインド藍も日本では長く利用され続けていますし、ジャワ藍と呼ばれたインドネシアで使われる藍も製品となって輸入されています。平和を取戻したアジア各地の藍も、復活を切望し活況に展開しています。世界中の民族に残された藍が、常に生まれる新しい技術と流行と共存して使われ続けることを希ってます。