伊藤洋一郎の理《RI》絵画⟺写真 002

伊藤洋一郎のことを考えるとき、わたしはこの文章を思い出す。大好きな徳島の海に「海釣り公園」を施設する計画が持ち上がったとき、古い釣仲間たちと反対運動をはじめた。そして市長選を応援する市民の会をつくり代表になってしまった。その期間に発表した文章だ。十数年後、2008年アメリカで第44代大統領に就任したバラク・オバマ氏が就任演説で、演説を終えるにあたりアメリカ合衆国の建国期に思いを巡らせ、独立戦争時のトーマス・ペインよる文章に言及しながら、革命の成功が危ぶまれる困難に対して建国の父ジョージ・ワシントンは果敢に立ち向かったことを話し、怯まず、諦めず、歩み続けるとメッセージを発した。地方都市の市長選の出馬表明の会場で、大勢の人が意味も分からず時間ばかりが過ぎていった。

 

常識について

 いわゆる内弁慶というやつだろうか、仲間うちでは結構おしゃべりの方なのだが、改まった席でのあいさつとなると、まるで不得意である。学生を教えていた十年余りの経験から、仕事の話しをするぶんにはさして抵抗もないが、結婚式の祝辞は大の鬼門である。だから自衛策として、毎年の新入生の授業初めには、自己紹介を兼ねて将来のご招待をお断りしていた。それでも二度出席したことがある。一人は身寄りの少ない学生で、親代わりにと請われて断りきれず、一度はうかうかと口車に乗せられてのことだが、どちらの場合も、話がとんでもない方向に飛び火してしまって閉口した。  

 つい先日のことだが、ある集まりに出席して一言あいさつする羽目になった。集まりの目的ははっきりしたものだし、二、三分の簡単なものならと、覚悟を決めての登壇だったが、やはり甘かった。どこからどうなったものか話は延々二十分にも及び、周りに随分迷惑をかけてしまった。しかも話のオチはつかないままで、話したのは「常識について」だった。

 この常識という代物はいろんな顔を持っていて、単純ではない。辞典によると、常識=(common sense)健全な社会人が共通にもつ一般的な知識や判断力。専門知識に対していう- とある。これにしたがえば、常識人であるためには、まず健全な社会人でなければならない。しいて話を面倒にするつもりはないのだが、健全な社会人であるためには、社会が共有する一般的知識や判断力、つまり常識をそなえていなければならないという言い方もできるわけで、どうかすると「ニワトリと卵」の轍(てつ)をふみかねない。それに- 専門知識に対していう -は、ちょっと意外だった。

 (common sense)を英和辞典で確かめてみると、まず(comonn)という語は随分と幅をもっているようで「一般の…」「公衆の…」「普通の…」といった意味合いの他に熟語としての用途は多い。(common senese)は- 常識 -とさっぱりしたものだが(common manner) =無作法-には驚いたし(common honesty)=世間並みの正直 -には思わず笑ってしまった。

 こうみてくると(common)のうちにはまぎれもなく軽い揶揄(やゆ)のにおいがあり、われわれの使う常識という言葉にも、同じ感触がある。しかし、かつてこの言葉は、激しい情熱と理想をこめてつかわれたことがあるのだ。

 話はさかのぼって、一七七五年、有名なアメリカの独立宣言をトーマス・ジェファーソンが起草する少し前のことだが、トーマス・ペインの「コモン・センス」という本が出版され、アメリカ全土に大きな反響をまきおこした。独立宣言の起草に与えた影響もさることながら、なによりもこの本によって、アメリカ独立の機運が決定的なものになったとまでいわれている。この「コモン・センス」が日本に伝えられて、常識という訳語の誕生をみることになるわけだが、この逸話は、小林秀雄が「考へるヒント」に書いているのを要約させてもらったものだ。

 トーマス・ペインという英国生まれの一革命家が、コモン・センス=常識に託した理想は次の言葉に言い尽くされている。アメリカの独立という理想について自分は、扇動的な言辞も煩瑣(はんさ)な議論も必要としていない。だれの目にも見える事実を語り、だれの心にもそなわっている健全で尋常な理性と感情とに訴えれば足りる -と。

 アメリカの独立宣言が、自由・平等・独立という、アメリカ建国の理念に基づいているのはよく知られている。トーマス・ペインの「コモン・センス」は革命の書であり、植民地政策、ひいては階級社会に対する挑戦状であった。当時の時代背景とその変動のなかにあって、大衆の希望を問い直し、夢を託されたこの言葉が、やがて独立宣言の骨組みを支える重い役割につながっていったのは興味深い。

 考えてみると、このコモン・センスは、まさにリベラリズムの申し子といってもいいわけだ。いつの時代にも、庶民の常識と支配階級の常識が、まるでちがったものであったろうことは想像できる。大きく食い違った部分もあったろうし、ときに完全な対立があったとしても不思議はない。時代の変革にのみこまれ、混乱の傷跡を残したまま、かつて理想の旗印であったコモン・センス=常識は、次第にその栄光を失っていったのだろうか。

 常識という新しい言葉の誕生とは関係なく、いつの時代にも庶民の暮らしのうちには、必要から生まれ育った生き生きとした知恵があった。人と人との間には、いたわりとか思いやりといった豊かな感情があり、その感情をむきだしにしない、控えめな理性があった。支配階級の極度に様式化されたしきたりにくらべて、はるかに人情味のある、ふだん着の英知ともいうべき「分別」という良い言葉があった。長い歳月を経て磨き上げられ、暮らしの隅々にまで深く根を下ろしていた、あの分別は一体どこへいってしまったのだろう。

 もちろん、すべてが消え去ってしまったわけではないとしても、急激な近代化や合理主義の台頭が、常識の尺度を変えてしまったのもまた事実である。

 いま日常の生活のなかで、常識という言葉を使うとき、冠婚葬祭のきまりや食のマナーに偏ってしまった感じさえする。それでも人との交わりを円滑にする効用はあるのだろうが、いま私たちが求めているのは、もっと柔軟な理性と優しい感情の働きであり、心の解放なのだ。

 ローザ・ルクセンブルクは「ロシア革命論」のなかに- 何の拘束もない、わきたつような生活だけが、無数のあたらしい形態を、即興曲を生み出し、創造的な力を持ち、あらゆる誤りを自ら正すことができる -と書いているが、その、わきたつような生活があってはじめて、またあらたな常識が生まれるのだろう。

 顔や形を変えてはいるが、いまもさまざまな抑圧はあり、支配する力も存在している。トーマス・ペインのいう「健全で尋常な理性」が、いつも多数派の側にあるとは限らないのだ。

 常識という尺度は、自分の行動を律するために欠かせないものではあるが、それを他者に向けるとき、とかく理性と感情のバランスを崩しがちなものだ。常識をふりかざして人を責めるとき、かつて解放のための武器であったものが、両刃の剣として人を傷つけることも多い。

 戦前・戦中・戦後を生きてきたひとりとして、庶民の常識と対立する時代など、もうゴメンである。そうでなくても人生には、また人それぞれの暮らしのうちには、時として、なまなかな知恵や分別で計りかね、途方にくれるほどの重さをもつものに出合うものだ。これは昔も今も変りはない。

 常識は決して習慣でもなければ処世術でもない。いつまでも、生き生きとした庶民の英知として育ってほしいものだ。

 

1992年12月25、26日 徳島新聞