藍でつくられた色ー⑬ 藍海松茶

海松茶の染色方法の記載が『女重寶記』元禄5年(1692)にあることから、この頃には染色が行われていました。藍海松茶は青味を帯びた海松茶ということで、暗い茶味の緑色です。海松茶の染色方法も『紺屋茶染口伝書』寛文6年(1666)に見られ、寛文小袖の地色にも広く愛用された色です。藍海松茶が江戸中期になり小袖や麻裃にも流行して、『愚雜俎』文政8年(1825)に「今あいみる茶といふものは、素みる茶に藍をかけし色なればなり‥‥」と記されているように、混乱を避けるためなのか海松茶の色名を「素海松茶」と言替えたものが見られるようになりました。

 

「海松」とは平安時代から食用にも観賞用にも利用された海藻で、浅海の岩の上に生え『万葉集』に詠まれています。平安貴族たちは「見る目」との連想から歌に詠まれ、重ねの色目には表が萌黄、裏は青の「海松色」があり、海松の文様もみられます。平安時代に生まれた暗い黄緑色の海松色は、室町時代の軍記物語『太平記』に「海松色の水干著(き)タル‥」と見られ色名は貴族から武家へ愛用され続けます。

 

藍海松茶の染色法は濃い浅葱の下染に楊梅で染め、媒染には明礬、鉄を使っていたようです。江戸中期以降はこのような染め色が多くなり、染見本帳や雛形本などの小袖地色に藍を用いた暗い緑褐色の色名が見られます。藍媚茶•藍鉄色•藍錆色•藍ねず•藍墨茶などです。類似した暗い緑褐色の藍媚茶は浅葱に下染し、渋木を染めてから鉄媒染です。染色法は一つの方法ではなく、藍を使わない染めもありましたが、下地を浅葱で染めれば生地が強くなり色もよいと書かれています。藍ねずの色調は平安時代に「青鈍」と云われていた色に類似していて、鈍色に藍を淡く重ねたものをいいます。鈍色の染色は奈良時代から行われた「橡(つるばみ)」に類似していて、平安時代になっても青鈍や鈍色は凶事の服色とされていました。江戸時代になると鈍色系統の色が何々鼠と呼ばれ、凶色としての観念は無くなり流行色になりました。藍味を含んだ墨色の藍墨茶も享保の頃に流行し、質実剛健を尊んだ時代の風潮にも合致して広く親しまれます。

 

 

参考:「日本の伝統色」長崎盛輝 京都書院