藍でつくられた色ー⑫ 萌黄

黄の冴えた黄緑色は、若葉が萌え出るような色というところからで「もえぎ」は萌木とも書かれます。随筆『貞丈雑記』(~1784執筆1843刊行)の中では「もえぎ色と云は春の頃木の葉のもえ出る時の色なり。されば萌木色と書也。萌黄色と書はあやまり也。木の字を用べし」といわれ、萌黄が用いられるのは「黄が緑に立つ」ことを意味するともいわれています。『万葉集』で「浅緑染めかけたりと見るまでに春の楊(やなぎ)はもえにけるかも」と詠まれていることから、萌黄色=浅緑ともいわれます。

 

萌黄色は平安時代の『宇津保物語』『夜の寝覚』『今昔物語』『栄花物語』『紫式部日記』では小袿や小衫などの衣装や重色に、鎌倉時代の『名後記』『平家物語』などにも多くの記載があります。萌黄色が若者の初々しさの象徴として表現され、18歳の平敦盛や20歳の那須与一が物語の中で萌黄縅の鎧を身に纏っています。

 

その後も御伽草子『酒呑童子』(室町末)「もえぎの腹巻に同毛の甲を添へ」や、浮世草子『世間胸算用』(1692)「もえぎ色に染かのこの洲崎、うらはうす紅にして」や、浄瑠璃『伽羅先代萩』(1785)「何声色とは聞かない染色だな。ヱヱかば色の事であろう。但しは萌黄か花色か」と時代が経過して庶民である町人•農民に用いられる色になります。紺屋での染めも『萬染物張物相伝』元禄6年(1693)に「下地そらいろのそめさせ、かり屋す四へんひき、みょうはんゆにてまへのとおりかげんして一へんそめ、又かり屋す四へんひき、まへのことくみやうはんをひき、水にてよくすすき申候」と詳しく書かれています。

 

奈良時代に唐から伝わり貴族や武家など特権階級のものであった蚊帳も、江戸時代になると庶民にも普及が始まります。山形屋•西川仁右衛門は永禄9年(1566)に近江国で蚊帳•生活用品の販売を始め、元和元年(1615)江戸日本橋に支店を開設します。二代目は蚊帳の麻生地を萌黄色に染め、紅布の縁をつけた「近江蚊帳」を販売し、人気を集め銘柄商品となります。萌黄色の蚊帳は喜多川歌麿など浮世絵にも見られ、文政2年(1819)に刊行された『八番日記』小林一茶の句に「馬までも 、萌黄の蚊帳に 寝たりけり」と萌黄色の蚊帳は人々に支持され大流行しました。

 

 

参考:「日本の伝統色」長崎盛輝 京都書院