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重要無形文化財と藍 Ⅱ

高 度経済成長で余裕もでてきた昭和40年代は、社会的背景の急速な変化が生まれました。日本万国博覧会終了後の旅客確保の対策として、個人旅行拡大キャンペーン「ディスカバー・ジャパン」などで日本各地に残る古い町並みや伝統工芸が見直されるようになります。重要無形文化財に指定された人間国宝の紹介シリーズ、伝統工芸の展覧会も多く企画され、ドキュメント、書籍、雑誌などでもたくさん紹介されていました。

 

首都圏に住んでいたわたしもこれらの情報を食い入るように読んで見て、いつか丹波や郡上、沖縄へ行ってみたく思っていました。急に父母の故郷徳島へ訪れる機会ができ、余暇に藍の工場を訪れたことから、好んで読んでいた染織の記事にどこか違和感を感じるようになったのです。専門家の机上での知識の及ばない現実のこと、おそらく知識の少ない愛好家や編集者の方の現地取材は、作っている人が一方的に話される内容を、感動だけで検証もなく書いてしまう情報に不安を覚えました。

 

文化財保護法の制定後から世間では、本来の藍染の名称を「正藍染」1:合成染料の化学藍で染めたものと区別するため、植物藍で染めること、または染めたものをいう。2:奈良時代から始まるとされる藍の自然染法。千葉あやの氏が、この方法を継承し重要無形文化財に指定された。「本藍染」合成染料の化学藍で染めたものと区別するため、植物藍で染めること、または染めたものをいう。と何と無く位置づけていました。情報の中には「正藍染」「本藍染」の記事も多くあり、藍瓶の管理の大変さを一様に語っています。ただし現実は藍の原料の生産者や栽培地域が日本でも無くなりそうになっていて、にわかに厚遇されるようになった藍染とは無関係のようでした。

 

そして法律で保護されていたにもかかわらず、難しいとされていた染料の使用方法の種類の定義もなく、専門に解説できる機関もはっきりしないまま、藍染の何が正しく本物なのか「正藍染」「本藍染」の違いも定義されず商業主義の「憧れの商品」になってしまいました。

 

 

参考:染色辞典 中江克己編 泰流社 1981年